ふたたびブログ

いろんなものを書きます

ひとの多い息のしやすさと、ひとの少ない息のしやすさと。

 諸用で地元に帰ってきている。

 明日にはまた一人暮らしのアパートへ戻らなければならないが、地元のいいところと言ったら人が少ないことである。土曜の昼の駅前だというのにこんなに歩きやすかったかしらという人出のなさだった。感染症のこともあるので単純に語れないところもあるのだが。

 この歩きやすさ、選択肢の少なさ、住民の少なさゆえにリピーターがいなければ生き残れないビルのテナント群、どれをとってもちょうどよく「ああ、私は都会で情報に翻弄されているのだな」としみじみ思う。

 一方で、人が少ないからこそ“自由に出歩けない”という感覚もある。地域柄もあるにせよ、単純に考えて、人が多ければそれだけいろんな人がいる。いろんな人がいるほど、少しずつ尖っていてもあまり目立たず紛れることができる。私のようなやつでも、群衆の一部に溶け込める。これは一例で、私はたまに趣味で和装を楽しむのだが、ひとの多い町ほど何を着ていても気にされない雰囲気がある。地元で同じ格好ができるかと言われたら、ちょっとあやしい。人が少ない分、なるべく大衆が利用する店しか生き残らないのかもしれないが。

 多くて四両、三十分に一本ならマシなほう、の電車にがたごと揺られているとき、辞めた職場の同僚になんて会おうものなら逃げ場がない。その点、都会は人と人との間に逃げ込んでしまえる。電車は一本遅らせたらいい。誰でもない素知らぬ顔をして、私という存在が町の中に紛れる。息がしやすい。

 しかし選択肢と刺激が多いのも考えものである。どうやら疲弊している自分に気づく。どこに暮らしてどこに通い、どうやって老いていこうかと考える。わからないな、わからないことだらけだが、とにもかくにも今日は実家のベッドで眠る。