ふたたびブログ

いろんなものを書きます

流れる季節はそのままに

 出会いと別れの季節には生きると死ぬとの匂いが濃くて、泣いたり吐いたり鼻をかんだりしているうちに夏が来る。まだ冬も終わらないのに。私の育った町では、四月の半分くらいまでを冬と呼ぶ。

 放っておいても寒くて手足が冷え切って凍えそうな長すぎる季節の後半で、ようやく冬も終わろうか、いやまだか、まだなのか、と心を弄ばれる頃合いに「お前はどこそこへ行け」だとか「春から別の学校なのよ」だとかそんなこと、告げられるのだから、ちっぽけな人間なんてひとたまりもない。もう少し暖かい国なら、いくらか感じ方も違ったのだろうか。

 私は、いわゆる『転勤族』……には、あたらなかったから、幼少期の引っ越しの経験は少ない。それでも、あくまで少ないだけで転勤のある企業に親は勤めていたので、幼稚園から小学校へとライフステージの進む折、春からは別の町の小学校へ行くのよと告げられたときはこの世の終わりのような心地がした。残業続きで帰りの遅い父を待ちながら、豚の生姜焼き(私の好物だ)を挟んで炬燵の向かい側に、母が神妙な面持ちで「ごめんねえ」と告げた光景を今も覚えている。本当に生姜焼きだったかしら。ハンバーグだったかもしれない。友達との別れがさびしくて泣きじゃくる私を母はいつまでも抱きしめていた。

 当時暮らしていたのは沿岸のあまり大きくない町で、海岸まで、子どもの足では行くにはやや遠い位置だったけれど、おそらく海沿いで津波でもあれば住んでいた借家の目の前の川は露骨にあふれる場所だった。私の暮らしていた頃にそんな大きな津波の起きたことはなかったけれど。引っ越して四半世紀経つから、当時の知り合いがどうしているのかはひとつも知らない。

 あれほど「ぜったいにおてがみかくね!」「うん!やくそくだよ!」なんて誓い合った仲ですらあっという間に年賀状は途切れ、届いたけれど送っていなかったな、なんて思い、逆にこちらは送ったのに返事のなかった年もあり、子どもの口約束なんてそんなものでいつしか私のアイデンティティは引っ越し先の町に置かれるようになった。住めば都ということか、はたまた私が目先のことにしか気持ちを向けていられない性質だったからなのか。

 人間を作っているものは暮らし向き、いとなみ、何を食べ何を着てどこで過ごしているかだと思うから、引っ越すのだとしたらそれはもう生まれ変わりにも等しいのじゃないかしら。そんな感覚を抱いている。過去のコミュニティは一部の例外を除いてどんどん遠ざかり、いまは遠くずっと後ろに、電車の中から眺めた景色のように流れていってそれきり。転職情報を検索するときは必ず「転勤なし」にチェックを入れる大人になった。

 けれど私が転勤をしなかったところで、私の回りが同じように転勤しないとは限らない。また春が来る。

 いつまでも暖かくなりきらなくて釈然としない、煮え切らない、しゃらくせえ季節の真ん中にあの子もその子も引っ越しをする。生まれ変わって蝶になる。カゴの外へと飛んでゆく。あるいは別のカゴに住処を変えるのかもしれないが、引っ越さない私が関与することでもない。どこへ行っても啜る蜜が瑞々しくありますようにと祈るだけ。冬をいくつも、いくつでも、いつまでも越えられますようにと思うだけだ。

 たとえば振り返って、いつかの景色はどうなっているのかなんて、チラ見してくれても構わない。私と目が合わなくてもいい。一度も折り返しの列車に乗らなくったっていい。父親のセダンの後部座席から眺めた旧友がどんな心持ちで手を振ってくれていたのだったのか、私は知らない。私のさびしさも、去り行く子たちはだれもかれも知らなくていい。門出のせめて暖かいことを願っている。

 

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今週のお題「引っ越し」