ふたたびブログ

いろんなものを書きます

薄曇りの空が、剥いだスルメイカの皮に見えたので

 ふと、海沿いの曾祖母の家で食べたイカの刺身のことを、懐かしく惜しく思った。

 曾祖母のことは嫌いではない。
 この曾祖母は漁港の近い集落に、私が物心ついた時にはもう長く一人で暮らしていて、なんでも一人でやる人だった。曽祖父にあたる人は戦争に行って亡くなったのだったと思う。遺影には軍帽をかぶったどこかあどけない表情の若い男の人が映っていたし、私はそれしか見たことがない。

 曾祖母の家に行くと(夏には従姉妹一家と一緒に遊びに行ったものだった)、いつも新鮮な海のものを出してくれて、その中にそれなりの頻度で、細長く捌いたイカの刺身が含まれている。いかそうめん、というやつである。そこそこ細く、けれど食べ応えのある具合に切って、さらに山のように盛り付けてあって、上にはたしか小口切りの青ネギとおろししょうががたっぷり添えてあった……気がする。もうだいぶ記憶があやふやになってしまっている。当時からもっと日記でもつけておけばよかった。と言ったって、五歳か八歳か十一歳あたりの『当時』の話である。

 あれは本当に美味しかった。
 いま思えば、で、あの頃はそれがどれほど美味しいのかよく分かっていなかったけれど。
 美味しいなあと思って食べていたけれど、当時住んでいたのも海の近くだったし、なにぶん食べ物だけは抜群に美味しい町の生まれを自負しているので、故郷を出るまで「べつに不味くはないがそんなに美味くもない刺身」というのがこの世にあるとは正直知らなかった。「たまにぎょっとするほどコンビニのおにぎりが美味しくない」というのも知らなかった。この話は置いておく。

 それにしても、やはり曾祖母の出してくれたいかそうめんはなぜだか抜群に美味しかったのだ。
 曾祖母の家に行かなくなってから(施設に入所してから、だったか、亡くなってから、だったか)、あるとき父が台所でふと、「【住んでいた集落の名前】のばーちゃんのイカの刺身は美味かったなあ」と口にしたことがある。
 おそらく父はそんな何気ない会話を覚えてはいまいが、いや実は私も今日まで忘れていたのだが、年端もいかなかった私の曖昧な記憶だけでなく父でさえそう思っていたのだから、やはり、あれはとびきり美味しかったのだろう。

 新鮮さ、がよいのだろうか。
 それはもう、子どもの足でも歩いて海岸に着くくらいの「海のそば」なのだから、これで新鮮じゃなかったら鮮度の判断基準がどうかしている。いよいよ漁船の上の漁師さんしか右に出る者がない。
 記憶の中のイカの刺身は、ほどよい歯ごたえと、たっぷりの薬味の香りが、垂らした醤油と上手に絡み合って、くさみなどまさか感じたこともなくて、真っ白くつやつやのほかほかしたご飯に乗せて食べたら、それはもうたまらなく美味しかった。ああ、美味しかった。美味しかったのだ。

 贅沢だったんだなあ、と今では思う。
 ぜいたくと呼ぶのもおかしいのかもしれないが、すくなくとも、豊かな体験だったのだ。たとえ母屋から離れた『ぼっとん便所』しかトイレがなくても、テトラポットにみっしりのフジツボを見て泣き出したとしても、あれはまばゆく潮風の幾層にも香るもどらない夏だったのだ。

 曾祖母は高齢で亡くなったし、家は人手に渡った。のか、私はあまり知らない遠い親戚が管理しているのだったか。いずれにしてもあの集落を訪れることは、もう無いような気がする。あったとして、あのときの刺身は食べられない。

 葬式は仕出しのお弁当だとか、お茶菓子だとかが、とにかく沢山出て食べきれなかった覚えがある。「自分の葬儀のときはみんなに沢山食べさせて」というのが当人の希望だったそうだ。いかそうめんはいつも山盛りだった。ひどく偏食で食の細かった、当時の私を、少しうらめしく思う。