ふたたびブログ

いろんなものを書きます

虫も居所を選びたい:ツイッターがあれで困る

 私の中に居るだなんていうのはさぞかしいや~な思いがすることだろう。ぎょう虫検査って、今はもうやっていないのだったかしら。私が小学校の頃は年に1回、色付きのフィルムが真ん中に貼られた、掌に乗るくらいのサイズの紙が配られて、家に帰って肛門に押し付けていたのだっけ。そんな話がしたかったのではない。

 「居場所のなさ」、みたいなものを最近いっそう強く感じる。冬であるからかもしれない。それはこの地域に住まう以上仕方のないことだ。秋物のコートの出番が2週間で過ぎ去るとしても、一定以上の北に住まうことを決めているのは私だ。今後は分からないが。さておき。
 要因はいくつかある。いくつかのタイミングが重なっている。一つ、ツイッターがあれなこと。一つ、うたよみんが無くなること。一つ、オフィスにいないこと。一つ、そのほかのなんやかや。後ろの二つはともかくとして、前の二つについては書き留めておこうと思う。

 一つ、ツイッターがあれなこと。

 あまり綺麗な言葉ではないが「『ツイ廃』と呼ばれてもなんら反論の出来ない部類の人間カテゴリ」を設定するとして、私は間違いなくそこへ当て嵌まる。
 イーロンさんのやっていることがなんでも悪いのかどうかは知らないが、TLが勝手に「おすすめ」と「そうでないもの」に区別されるようになってからというもの、頼んでもいない引っ越し業者が自宅の荷物を勝手に箱詰めしたような、心地の悪さを感じている。(引っ越し先の家は段ボールだらけでも妙に落ち着くのに、これから去ろうとする荷物の減っていく部屋では居場所のない寂しさに襲われるの、なぜなのだろう。)
 普段から自分に有益なもの、無駄のないものだけに囲まれて、デザイナーズマンションの高層階でコーヒー片手に窓辺の観葉植物へ水をやるような生活をしていたら違うのかもしれないが、私は自分と縁の出来てしまった無駄な雑貨類の散らかる生活感の八畳間に落ち着くことができる人間だ。
 だから、不運にも私にフォローされてしまったツイッター民たちの、(できる限りの尊敬を込めて言うが)雑念と雑感と雑談と雑音、たまに悲鳴、そういうものが入り混じりながらも一定の自分ルールで整備された(たとえば仲の良いフォロワーであっても「この人のRTは非表示にしておこう」だとか)タイムラインを、勝手に自動的な何かで選別されることにはなんともかんとも違和感を覚える。

 そこへ来て、先の凍結騒ぎである。いや、イーロンさんの側にも理屈があるのは分かっている。悪質なbotによる損害額って天文学的な数字らしい。天文学的は言い過ぎだと言われそうだが、手取り○万円の私にとっては経営学天文学もずっと遠くという点では変わらない。

 でも!私が応援している人のアカウントに限って戻ってこないんですけど!

 この名義でのアカウントはなんらかの投稿のお知らせに終始しているが、私は実に10年以上、いろんなアカウントを見たり、使ったり、騒ぎに乗じたり遠巻きに眺めたり、してきた。10年ちょっと前と言えば実家を出て初めての気ままな生活に翻弄されていた学生時代。同棲している恋人もいない私には、今日はこんなことがあってね、と報告する相手こそがツイッターのタイムラインであり、そこでは「おかえり」「ただいま」「ほかてら(ほかってらっしゃい、つまり風呂やシャワーに向かう人への「いってらっしゃい」の意)」「おかあり(「おかえり」というリプライをくれてありがとうの意)」といった何気ない、ただそれだけのやりとりが交わされていた。もはやツイッターこそが「帰ってくる家」だった。
 いつからかこまかな日々の報告はツイートしないようになり(あまり生活を晒すのも防犯上の懸念は存在するので)、仕事のグチが増えたり、実家に戻ったり、また出たり、一瞬だけお付き合いする相手がいたので日常のふとしたことはその人に連絡するようになってツイートが減ったり(結局別れたり)、同僚への身バレが怖くて仕事のグチツイートを減らしたり、そうかと思えば急に新たな漫画にハマって猛烈に熱烈なツイートを日々繰り出してみたり。
 もはや何をきっかけにつながったフォロワーなのかも覚えていなかったり、おそらく当時ハマっていた漫画作品からはお互いに離れていたり、そのくせ「これ好きだって言ってたな」「最近忙しそうだけれど大丈夫かしら」「あの人のオススメのコスメなら信頼できる」といった些細なことは覚えていたり。そういう毎日毎ツイが薄くやわらかな生地を重ねるみたいに積もって、時折コーヒー片手に眺めるタイムラインはド○ールのミルクレープのようにやわらかく、ほどよく甘く、けれど存在感があって、たまの贅沢で、それでいて身近で。

 

 なっ なにー!? いままで食べていたクレープは!?

 

 繰り返すが、私にとってはこのクレープが家なのである。アカウントを移り住みかえようとも、引っ越し先だって別邸だって私の家は家なのである。そいつを急に取り上げられて、もしくは、勝手に切り分けられて、「そんなに重ねると危ないからこの辺で止めといたほうがいいよ」と言われて、はいそうですかと大人しくしていられる筈もない。実際には大人しくしているほかない。イーロンさんの前に手取り○万円の私は無力。敵の経済力は53万では済まない、あとたぶん単位が円ではない、そういうことではない。せめてタイムラインを時系列にしてくれと言って、要望をリプライで出していらっしゃるツイートにいいねをしておいた。

 ああ、帰りたい。どこへともなくタイムラインへ。さして好きでもないBGMがいつまでもゆるく流れ続ける、チェーン店の喫茶店みたいな、家みたいな、あのタイムラインへ。