ふたたびブログ

いろんなものを書きます

せめて「咀嚼」をしていたい

 毎日更新を今月の目標に掲げた。2日目で更新が途切れた。ひどい話である。師走ともなれば割と誰でも忙しいが、誰も彼も忙しさの許容量が同じではない。困った話である。

 このところ、不摂生を地で行く暮らしを送っている。

 不摂生と言われたときに、「すごく食べる」ベクトルでイメージされるケースと、「ちっとも食べない」ベクトルでイメージされるケースとがあるようだ。

 むかし、2カ月ぶりに会った後輩がずいぶんほっそりしていたので「大丈夫?(健康的に痩せたのならいいけれど、)不摂生がたたって、とかじゃないよね?」と訊ねたら、「あ、不摂生は不摂生ですけど(ラーメンを連日食べているの意で)元気に痩せてます!」と言われ、すれ違いコントさながらの心情になったことがある。

 それはそれとして、私の不摂生は「食べない」ほうに転んでいる。

 ものぐさがたたって、「気力がわかない」→「面倒くさい」→「お腹空いたな」→「でも作るのも買いに出るのも注文するのも食べるのも面倒くさいな」→「寝ちゃおう」、はい完成。これで4日間ほど主食がオレンジジュースになるわけだ。わははは。笑い事ではない。さすがに友人が心配して私を家から引っ張り出してくれたので、この1週間ほどは固形物を食すようになっている。先程も味噌汁を飲んだ。土井善晴先生の教えは偉大だ。

 

 昨日の日記のつもりであるので昨日のことを振り返ってみると、およそ2週間ぶりで近所のスーパーに足を運んだ。午後の重めの会議の前に、昼食を食べねばならなかったので(不摂生ながらも在宅勤務で仕事はしていた)、小ぶりなビビンバ丼380円を購入して家に帰った。薄めのカルビらしき肉を口に運んだとき、歯が、奥歯という奥歯が急に「仕事をしている!」という感触を私に伝えてきたのを覚えている。

 私はいま、噛んでいる。

 食物を噛んでいるのだ。

 決して厚い肉でもなければ、別段固い肉でもない。それでも奥歯で受け取る弾力、顎の上下する運動、飲み込み、喉を通る瞬間の少しつっかえそうな感覚は、私に「ものを噛み、飲み込むとは、こういうことだった」と急速に思い出させた。衝撃の瞬間である。

 なるほど歯と顎は衰えるものなのか。衰えるものとは知っていたが、実感をしたのは初めてだ。衰えていたことに気付いて初めて、今まで使っていなかったことを思い出す。このところ、オレンジジュース、チョコレート、気が向いてウーバーイーツに届けてもらったうどん、オレンジジュース、リンゴジュース、オレンジジュースの生活だった。これはいけない。

 

 もちろんオレンジジュースは美味い。味も、香りも、私は柑橘類を特に好んでいる。どこかの農園で太陽の日差しをたっぷり浴びて育った果実だったに違いない。その爽やかな風味が鼻から抜けてゆくのもよいものだけれど、人間は歯を有している。歯を有しているのだった。そういえばそうだった。思い出した。どうせなら、「噛み応え」も活用しておかなくてはもったいない気がする。

 そういうわけで、少しずつだが咀嚼という行為を思い出した人間として、歯を使ってものを食べていきたいと思う。いずれは抜け落ちてしまう歯なのか、50年後には技術が進歩して抜け落ちずに済んでいるのか、わからないが、とりあえず今あるものは使っておきたい所存だ。そんなことを考えた。胃も、腸も、あるいは手足の筋肉も同じ心持ちであろうから、使えるものは使って暮らしていきたいと思う。

 そうやって筋トレなど始めるとまたすぐバテて不摂生に戻るので、己のコントロールが常に肝要なのである。ままならない師走である。