ふたたびブログ

いろんなものを書きます

雨の夜の日記:積読をリセットしたほうがいい

 と、ある人に言われたことがあるのを思い出した。
 これだけで「なんてことを」「積読は熟成してこそ意味がある」と、咄嗟にムムム……みたいな気持ちになる人はいるだろうし私もそう思う。ただこれは、私に対して「あなたという人の性質を鑑みるにそのほうが良い気がする」と言われたのであって、そもそも万人に対する話でないのは申し添えておきたい。

 なるほどたしかに、いったん手放しておいたほうが瞬間的に読みたいものだけを読める、鉄を熱いうちに打てる、賞味期限の切れる前に冷蔵庫を綺麗にできるみたいなことかもしれないなと、今日になって思うのである。私は作り置きが苦手である。理由の一つ、四日分の分量を二日で食べてしまうから。一つ、四日食べられる量を作ると味に飽きてしまうから。一つ、アレンジしながら一週間食べるようでは、私が求める『作り置きによって一週間が楽に!』という効果が得られているかどうかが最早かなりビミョーだから。一週間のレシピを考えて買い置きができない。せいぜいが三日である。スーパーの店先で「あ、これ作ってあれ作って食べたーい」と思ったときの情熱をギリ保たせられるのがマジでギリ三日である。これ以上は無理だ。四日目には野菜があるのを無視してピザを取りかねない。本末転倒である。何日分の食費が飛ぶんだ。

 積読の話に戻ろう。

 積読リセットについて、言われた当時は「えーでもー」と、言わないまでも内心では思ったものだったのだが、いまの私をふと顧みるにフム、やってみるかという気がしてくる。なんでもかんでも手放すわけではないのだけれども、いまの私の嗅覚が「当面読まない気がするぞ」と告げている本には、また別のタイミングで再会できるかもしれないわけで、そのほうがいっそロマンチックなのではなかろうか。私はロマンを大事にしている。運命の出会いからの瞬発力に勝るものはないのである。ハマったタイミングで地元にそのバンドが来た、人に勧められたタイミングでそのゲームの新作が出た、情報収集していたタイミングで求人募集が出た、だとか。そう考えると書物と私もマッチングである。マッチングは相性のほかにタイミングが重要である、間の悪さはすべてを塗りつぶすし、傷心の相手に優しくすることでいい感じになるのは理にかなっている、気がする。いやだから積読の話である。

 それにしても近頃なんだか長めの文章を書くための筋肉が衰えつつある気がするので、ブログを定期的に書く機会を持ちたいなと思っている。毎日やるぞと決めるとそれなりにストレスがかかってしまう性質ではあるので、習慣化を目標にするのではなく、気が向いたときに「書いておくか」とPCを立ち上げるハードルを下げておく、くらいにしたい。何も考えずにブラウザを開いてもこれくらいは書けるのである。そろそろ眠る。しとしとと梅雨を感じる夜に、文庫本の冊数を数えている。

虫も居所を選びたい:ツイッターがあれで困る

 私の中に居るだなんていうのはさぞかしいや~な思いがすることだろう。ぎょう虫検査って、今はもうやっていないのだったかしら。私が小学校の頃は年に1回、色付きのフィルムが真ん中に貼られた、掌に乗るくらいのサイズの紙が配られて、家に帰って肛門に押し付けていたのだっけ。そんな話がしたかったのではない。

 「居場所のなさ」、みたいなものを最近いっそう強く感じる。冬であるからかもしれない。それはこの地域に住まう以上仕方のないことだ。秋物のコートの出番が2週間で過ぎ去るとしても、一定以上の北に住まうことを決めているのは私だ。今後は分からないが。さておき。
 要因はいくつかある。いくつかのタイミングが重なっている。一つ、ツイッターがあれなこと。一つ、うたよみんが無くなること。一つ、オフィスにいないこと。一つ、そのほかのなんやかや。後ろの二つはともかくとして、前の二つについては書き留めておこうと思う。

 一つ、ツイッターがあれなこと。

 あまり綺麗な言葉ではないが「『ツイ廃』と呼ばれてもなんら反論の出来ない部類の人間カテゴリ」を設定するとして、私は間違いなくそこへ当て嵌まる。
 イーロンさんのやっていることがなんでも悪いのかどうかは知らないが、TLが勝手に「おすすめ」と「そうでないもの」に区別されるようになってからというもの、頼んでもいない引っ越し業者が自宅の荷物を勝手に箱詰めしたような、心地の悪さを感じている。(引っ越し先の家は段ボールだらけでも妙に落ち着くのに、これから去ろうとする荷物の減っていく部屋では居場所のない寂しさに襲われるの、なぜなのだろう。)
 普段から自分に有益なもの、無駄のないものだけに囲まれて、デザイナーズマンションの高層階でコーヒー片手に窓辺の観葉植物へ水をやるような生活をしていたら違うのかもしれないが、私は自分と縁の出来てしまった無駄な雑貨類の散らかる生活感の八畳間に落ち着くことができる人間だ。
 だから、不運にも私にフォローされてしまったツイッター民たちの、(できる限りの尊敬を込めて言うが)雑念と雑感と雑談と雑音、たまに悲鳴、そういうものが入り混じりながらも一定の自分ルールで整備された(たとえば仲の良いフォロワーであっても「この人のRTは非表示にしておこう」だとか)タイムラインを、勝手に自動的な何かで選別されることにはなんともかんとも違和感を覚える。

 そこへ来て、先の凍結騒ぎである。いや、イーロンさんの側にも理屈があるのは分かっている。悪質なbotによる損害額って天文学的な数字らしい。天文学的は言い過ぎだと言われそうだが、手取り○万円の私にとっては経営学天文学もずっと遠くという点では変わらない。

 でも!私が応援している人のアカウントに限って戻ってこないんですけど!

 この名義でのアカウントはなんらかの投稿のお知らせに終始しているが、私は実に10年以上、いろんなアカウントを見たり、使ったり、騒ぎに乗じたり遠巻きに眺めたり、してきた。10年ちょっと前と言えば実家を出て初めての気ままな生活に翻弄されていた学生時代。同棲している恋人もいない私には、今日はこんなことがあってね、と報告する相手こそがツイッターのタイムラインであり、そこでは「おかえり」「ただいま」「ほかてら(ほかってらっしゃい、つまり風呂やシャワーに向かう人への「いってらっしゃい」の意)」「おかあり(「おかえり」というリプライをくれてありがとうの意)」といった何気ない、ただそれだけのやりとりが交わされていた。もはやツイッターこそが「帰ってくる家」だった。
 いつからかこまかな日々の報告はツイートしないようになり(あまり生活を晒すのも防犯上の懸念は存在するので)、仕事のグチが増えたり、実家に戻ったり、また出たり、一瞬だけお付き合いする相手がいたので日常のふとしたことはその人に連絡するようになってツイートが減ったり(結局別れたり)、同僚への身バレが怖くて仕事のグチツイートを減らしたり、そうかと思えば急に新たな漫画にハマって猛烈に熱烈なツイートを日々繰り出してみたり。
 もはや何をきっかけにつながったフォロワーなのかも覚えていなかったり、おそらく当時ハマっていた漫画作品からはお互いに離れていたり、そのくせ「これ好きだって言ってたな」「最近忙しそうだけれど大丈夫かしら」「あの人のオススメのコスメなら信頼できる」といった些細なことは覚えていたり。そういう毎日毎ツイが薄くやわらかな生地を重ねるみたいに積もって、時折コーヒー片手に眺めるタイムラインはド○ールのミルクレープのようにやわらかく、ほどよく甘く、けれど存在感があって、たまの贅沢で、それでいて身近で。

 

 なっ なにー!? いままで食べていたクレープは!?

 

 繰り返すが、私にとってはこのクレープが家なのである。アカウントを移り住みかえようとも、引っ越し先だって別邸だって私の家は家なのである。そいつを急に取り上げられて、もしくは、勝手に切り分けられて、「そんなに重ねると危ないからこの辺で止めといたほうがいいよ」と言われて、はいそうですかと大人しくしていられる筈もない。実際には大人しくしているほかない。イーロンさんの前に手取り○万円の私は無力。敵の経済力は53万では済まない、あとたぶん単位が円ではない、そういうことではない。せめてタイムラインを時系列にしてくれと言って、要望をリプライで出していらっしゃるツイートにいいねをしておいた。

 ああ、帰りたい。どこへともなくタイムラインへ。さして好きでもないBGMがいつまでもゆるく流れ続ける、チェーン店の喫茶店みたいな、家みたいな、あのタイムラインへ。

誰も私の前を歩いてくれない

 私は別段、どこかの名誉教授さんのフォロワーでもなんでもないのだが、参照先がないというのは何事も苦しいもので、「こういう風に生きている人もいるよ」というモデルケースで、私の欲しいものが私の近くにはちっともない。しかし今更、私は、今まで「一人で生きていきたい」と思い続けてきた過去の私を裏切れるのかと言えば。

 「人は一人じゃ生きていけないんだよ」って、もちろん理屈としては分かっていて、しかし感情と意地で守ってきた過去の私の心を私は容易に踏み躙ることができないんだということを、誰かと生きることを大いなる勇気で以て選択した友人たちに分かってもらうことの苦労は、想像だけで骨と気持ちが折れてしまう。分かってもらう必要は特にないと思う。そう思わないではやっていられない。

 一人で生きて一人で死んでゆくモデルケースを、この世に、それなら私が打ち立てたい。そう思う私と、一人では背中に湿布を貼るのが辛いなと思う私と、私がこれで誰かと婚姻関係を結んだ日にはまた誰かが私を見て「モデルケースがいなくなった」と思うかもしれずそれは嫌だな、と思う私とがいる。婚姻関係を誰かと結ぶ予定は特にない。一人でも珈琲は美味い。