ふたたびブログ

いろんなものを書きます

こどもはアイドルで天使でこども

 帰省をしている。

 正月以来の帰省だが、引き続き友人と飲み歩けもしない今回の主たる目的は、甥っ子に会うことである。甥っ子は春に生まれたばかりだ。私の弟夫婦に生まれた、私の両親にとっては初孫にあたる、しっかりとした体重の子である。私がご対面叶わなかった数か月のうちにすっかり大きくなり、今にもハイハイを始めそうな勢い。寝返りを打つたびに歓声が上がる。さながらアイドルの挙動、一挙手一投足である。

 こどもはかわいらしい。

 兎角すべてのこどもは、愛されて生まれ、庇護されて育ち、すこやかに親のもとを旅立ってほしいと、私は切に願っている。自分はこどもをもうけるつもりがなくとも、切実にそう思う。むしろだからこそ祈っているとも言える。あるいは、祈ることしかできないから祈っている。

 かわいらしいなあ、と微笑ましく眺めたり見守ったり(保護監督者の許可のもとで)なでたり抱き上げたり、するだけは親戚の他人事の範疇で出来ても。どうか大きく育ちますように、他人や社会に迷惑をかけませんように、やがては自身の幸いを自身でつかみとってゆける人になりますようにと、こどもの人生の道行きに一定の責任を負うことは、どんなにか大変で、どんなにか得難いことだろうか。私の想像力では、とても及ばないけれど、得難き子育ての道中を歩むすべての人たちにも、サポートしている機関の人たちにも、心から畏敬の念を抱いている。

 遠い世界のアイドルのように(この例えは語弊も危険もはらんでいて、そもそも、アイドルさんに対してだってファンの立場は無責任ではいられない部分があるとは思うのだけれど)(そしてそれが時に苦しみとして表出することがあると思うのだけれど)、ほめそやしてかわいがって愛でてなでてきゃっきゃするだけなら、無責任な私にもできるけれど。こどもはそもそも、こども、なのである。こども以上もこども以下もない。こどもとして、こどもが大事にされてほしい。そんなことを切に願っている。

 そんなことを願う盆の入りである。地元の夜は随分と涼しい。

雨の日記:定年後の父に会うのが怖い

 雨がしとしとと降り続いている。
 梅雨というやつは明けたのか、明けていないのか、はたまた明けたフリでもしているのか、よくわからないやつだ。毎年のことなのだろうが、毎年そう思う。

 この夏は実家に帰りたいと思っている。
 転職をしたら夏休みが1週間も、それも「自由に使える休暇を何日分」とかではなく「この日からこの日までは会社として非稼働日です」という形式で貰えるらしい。社会人になってからちょうど10年が経とうとしているが、こんなに夏休みを貰ったことはないので正直戸惑っている。大学の頃はキャンパスの改修工事だとかに巻き込まれて3カ月近く休んでいた。それはそれでというやつだが。

 ともかく夏休みが長いこともあって、せめても実家に、半分くらいの日数は帰っておきたいものだと考えている。とはいえ感染症の流行状況も鑑みなくてはならないし、帰ったところで友人と飲みに繰り出すのは難しそうで、せいぜいが「絶対にコロナ禍を乗り切ってほしい雑貨店」へ買い物に……行けるのだろうか……あそこはお盆は休みじゃあなかろうか……大人しく通販を利用すべきではなかろうか……といった具合である。
 ようするに「帰るには帰るけど帰ったところでやることは特にない」というやつ。

 なのだけれど、帰ってはおきたいのが不思議な心理なのである。
 まあ、親の顔は見ておくか、と思う程度には私と両親は不仲ではないということなのかもしれない。

 そんなことを書いているうちに外では雨脚が強まってきた。実家とは別の地域だけれど、地元のとある町では雨のたびに川の氾濫が危ぶまれるので、よくエリアメールが届いていた。そういえば引っ越してきてから、とんと、そんな通知を聞かなくなった。

 いつかは両親も、あるいは遠くないうちに、「ご高齢の方は早めに避難を」と言われるうちに入ってくるのだろう。年齢だけみたら入っているのかもしれない。あるいは「まだ入っていない」との思い込みが危険なのかもしれない。私にとっても、両親にとっても、弟やその家族にとっても。

 父は定年退職後の有給消化に入っているという。
 別段、仕事人間ではない父だった。新卒入社した会社でパワハラに遭って身体を壊し、私と弟の学費と食費がもっともかかるタイミングで会社を辞めた。いくつか職を転々として今の(在籍はしているから「今の」で合っているだろう)職場に縁があって、それからええと、10年以上は経つのだったか。私にはまだ途方もなく遠い年数だ、定年退職。私の頃にそのシステムがどう稼働しているか知らないけれど。

 一時的なものではなく、労働を離れるにいたった父は、どんな顔して家庭菜園の極太キュウリを収穫しているのだろう。あるいは初孫の相手をしているのだろう。勝手な転職に小言を貰う予感を脇に置いておいたとしても、私はすこし、会うのが怖い。

 

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ツイッターで「文披31題」という創作企画に参加しています。7月の31日間を通して31のお題にチャレンジするというもの。数日遅れのゆるゆる追いかけ投稿ですが、ご覧いただけると幸いです。

*5月に佳作をいただいた140字小説企画にも引き続き参加しています。「7月の星々」のテーマは「放」だそうです。

置き去りの私とシーンの明日とゆりかごのユーミン

 恥ずかしながらと言うべきであろう、もう10年以上は音楽シーンに対する認識がアップデートされていない。元来、あまり流行に明るくもなく飛びつきもせず追いかけることには引っ込み思案でそのくせ、運命的に出会ったものにだけとことんハマる、別に音楽フリークでもなんでもない、そんなリスナーが私である。実家を離れてテレビをほとんど見なくなってからというもの、いよいよ、紅白歌合戦でその年の流行を知るようになってきてしまった。Youtubeにハマれないタイプなのもある。なにぶん、料理のレシピすらまどろっこしくて「テキストでくれ」と思ってしまう。さておき。

 職場でラジオが流れている。地元のFM局である。

 リクエストの都合で朝の10時から氣志團のワンナイトカーニバルを流された日にはどんなモチベーションで働けばいいのか丸一日迷子になったが、基本的には聞き流して仕事をしている。ほどほどに流しておけるのがラジオのよいところでもある。

 それが昨日はなんだか耳に留まった。

 たまに(得てして仕事の集中力が切れたタイミングだが)、ふと「ああ今流れてるやつなんて曲だろう」と思って、その場で検索することがある。へえ、yamaって人の『桃源郷』って曲なんだ、ふうん。なんか耳に残るな。あとでちゃんと聴いてみようかな。こういう時に便利なサブスクをあまり活用してないからな、サブスクに入ってるのかな、帰ったら調べてみようかな、とりあえずメモしておこ。という感じで。

 でも実際は帰宅するとぐったりしていて調べないことがほとんどなのだった。
 それをめずらしくも調べた時点で運命は私に微笑んだのかもしれなかった。

 

yama.lnk.to

www.youtube.com

 

 私は最初にサブスクで曲だけを聴いたので、とつぜんMVから見る場合とはおそらく出会いの印象が違うと思うのだが。

 聴いた最初の印象はとにかく「こんなの全部すき」だった。

 曲について文章で書き表すのは本当に難しいなと思うのだが、微妙で絶妙な歌謡曲っぽさがいい。この歌謡曲感はメロディによるものなのだろうか、コード進行とかなのだろうか。とにかくそれがすごくいい。クセになる。
 それでいて、すっごくちゃんと「今の曲」というか、2022年の新曲という感じがする。古くさくない、といえば分かりやすいのかもしれないが、別に歌謡曲を古くさいと言いたいわけではない……でもとにかく、ノスタルジックなのに新しく感じるし、だけどなんだか真ん中にずどんと来る感じがする。

 それから歌詞がほんとうにいい。アイロニーの韻の踏み方なんてとっても好みだ。幾重にも多くの側面から汲み取ったり、自分や他人に落とし込んだり、できてしまう抽象性が私はすきだ。だからたとえばリリースがあと2か月前だったなら、ラジオで聞いたのがうららかな春の頃だったなら、こんなに刺さったのかどうかは私もわからない。今の私にはひたりと寄り添って心臓の筋を弾き鳴らす言葉運びだった。

 もう今更だけれども声がいい。ちょっと低くてハスキーな印象のある歌声が、いやみなく、ぬるりと、ひやりと心地好く、鼓膜を撫でていく感じがする。

 

 私は「あまり流行に明るくもなく飛びつきもせず追いかけることには引っ込み思案でそのくせ、運命的に出会ったものにだけとことんハマる」性質である。運命を感じるなんていうのは10年に1回もあるかどうかである。MVを観た流れでそのまま、スマホから検索をかけたら、秋にはツアーで私もアクセス可能な範囲にいらっしゃるという。
 というわけで、いまは当落待ちである。
 ちょうど先行申込みの出来る時期に出会えたのも――そりゃ、ツアーを見据えて曲やアルバムをリリースなさっているから当然は当然なのだけれど――タイミングなんだろうなと思ってみたりして。

 

 昨日からずっとyamaさんの歌声を聴いている。『桃源郷』をひたすら聴いている。ようやっとそらで口ずさめるようになってきた。ほかの曲なら『ランニングアウト』『麻痺』あたりがすきだと思った。だけど『桃源郷』がいちばんすきかもしれない。

 なんとなく感じる懐かしさ、母の車の中で聴いた曲たちを思い出す。母の車のセットリストは邦楽だと、たいていユーミン高橋真梨子。あまりトンチンカンなことを言って音楽シーンに明るい方に叱られそうだなと思うが、私が思い出すのは思い出すのだから仕方がない。
 車のオーディオにCDプレイヤーがやっと付き始めたくらいの頃に、CDから焼いたらしかったカセットテープの音源。車酔いのひどい私はどうにかして気を紛らわしていないと、慣れ親しんだ母の車の中ですら吐き気を催すことがあって、一生懸命に口ずさんでいた。真夏の世の夢、恋人はサンタクロース。それから桃色吐息、五番街のマリーへ。とか。

 

 私が車を運転するならそのときは車内へ『桃源郷』を流してみたいなと思った。よく晴れた日につづら折りの山道を、沿岸の親戚の墓参りに向かって走るのだ。実態はゴールドペーパードライバーなのでそんな予定は、この夏も無いのだが。