ふたたびブログ

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嫌いな女の三回忌を蹴ろうかどうか悩んでいる

 もうすぐ、嫌いな女が死んでからかぞえ・・・で三年になる。

 一周忌は一年後にやるくせに、三回忌は死んだときを一回目と数えて三回目にやるのだから、死んでから丸二年はとくに忙しい(地域差や宗派の違いがあるかもしれない)。なんとも不思議な話である。それくらいの間は、故人をしのぶべきということだろうか。

 忙しいといっても、私はたいして忙しくはなかった。嫌いな女が寿命で往生する、ほんのひと月かふた月ほど前に地元を離れていて、だいたいのことは両親が手配したし、感染症の流行禍で弔問客もいない中をわずかに手伝った程度だ。転職をした直後に忌引きを取ることになった点で、慌ただしくなかったわけではないが。

 女は100歳で死んだ。

 ぴったり100歳、かぞえでいったら101歳の大往生である。葬儀の折にもお寺のご住職が「いや本当に立派なことで……」なんて仰っていたくらいだ。あれだけ身体が弱かったのに――弱い弱いと言っていたのに、最後は闘病の末でもなんでもなく老衰だったという。老衰としか言い表しようのない死に方だった、らしい(念のために言い添えておくが件の感染症とは関係ない)。施設で迎えた最期に居合わせた家族は私の母だけだった。母は死んだ女から見て、末の息子の嫁にあたる。同居の年数はざっと20年にも及ぶ。

 私は祖母が嫌いである。

 祖母はぴったり100歳の老衰で死んだ。

 誓って、述べておくが、「嫌いだった」ではなく「嫌いである」が正しい。私は祖母を生涯嫌いである。この「生涯」はもちろん私自身の生涯のことであって嫌いな女の生涯ではない。だが、私が死んだ後に「言うほど嫌いじゃなかったはずだ」とか、そんなことを言われるのだって勘弁願いたい。一説に、すきの反対は無関心だそうだが、べつに無関心以外のものがすべからく「すき」に類するわけでもあるまい。

 嫌いな女にとって、私はもっとも長く一緒に暮らした孫の一人である。

 というか、長く暮らしていなかったら嫌いかどうかの判定が行われなかっただろうと思う。従兄弟たちが素直に「おばあちゃんおつかれさま」なんて電報を送ってよこすのを整理しながら、今どきのセレモニーホールの待合室でどこか白けた気持ちになったものである。

 血のつながった親類縁者をけなすものではないだとか、故人を悪く言うなとか、そういう価値観が存在する。存在することは知っている。それはそれとして、「現代を生きる日本人として性質や価値観が合わない人間」がたまたま自分と四分の一だけ血がつながっていたことが、私にとっては真実なのだ。

 私は祖母に叱られた記憶がない。

 より正確に言えば、「怒られた」ことは幾度かあったけれど「私がよくないことをしたから叱られた」なんて覚えはひとっつもない。

 両親や兄弟とお好み焼きのホットプレートを囲んだ食卓から、「おばあちゃんに謝ってきなさい」と促されて、しぶしぶ祖母の部屋を訪れて何を話したものだか覚えていない。祖母は引っ込みがつかなくなっていただけである、今にして思えば。祖母はひどく見栄っ張りの気分屋さんで、なにがきっかけか知らないが私の言動で機嫌を損ねて、食事の席に出てこなかったのだ。覚えていないくらいなのだから、一切の教訓めいた叱責があったものではないと断言できる。私が子どもの時分でさえへそ曲がりなのだから、そこから10年、20年、寿命の100歳で往生しやがるまでの間に歳を重ねてますます取扱いは難しくなっていった。思い起こすほど嫌いである。

 

 さて、嫌いな女が死んでから丸二年が経とうとしている。

 近々地元で三回忌を行うそうである。正直蹴ってもいいんじゃないかと悩んでいる。

 べつに黙ってバックレるつもりはなく、それなりの理由を付けて連絡はするつもりである。嫌いな女以外に迷惑をかけることは本意ではない。第一、母からも「無理して来なくてもいい」と言われている。ただしこの「無理して」は感染症流行の問題もあるし、忙しいだろうし、という私の現状を気遣う意味合いであり、私があの女を心底嫌いであるという点を慮ったものではないと思われる。すきだったとは思われていないだろうが。私には、末っ子に嫁いだはずなのに姑の靴下を取り替えていた母の気持ちは一生理解できそうにない。

 世の中が、こんな具合でなかったら黙って参列したかもしれない。

 あるいは、私が更なる転職の直後であり、黙って入社を決めたので父と顔を合わせにくい、なんて事情がなかったら大人しく参列したかもしれない。

 参列くらいはしておくものだという気もする。これでも私にだって、世間一般の良識めいたものだとか、親戚への体面みたいなものだとか、そのへんを多少気にする性質が備わっている。見栄っ張りと言ってしまうと嫌いな女に似ていることになってしまうのでやめておく。おぞましいことだが、おそらく親戚中で誰よりも『100歳の寿命で死んだ嫌いな女』に似ているのは私なのである。だから余計に嫌いなのだろう。こうやって文章を書くことすら「やっぱりおばあちゃん譲りで頭がいいのね」なんて言われた日にはもう墓石をひっくり返したい、まさか実行はしない、世間体が悪いからではなくお寺のご住職にご迷惑だからだ。祖母以外の祖先さまにも悪い。化けて出られたくもない。おばけは怖い。見えたり聞こえたり感じたりは一切ない、無くてよかったと心底思う、まかり間違っても二度と祖母に会いたくない。できれば同じ墓にも入りたくないので私のことはなるべく共同の樹木葬とかで頼みたいと思っている、さておき。

(実際問題、不要不急の移動を避けるべきだという状況を鑑みたときに本件はまちがいなく「不要」かつ「不急」である。無論、あくまで私と嫌いな女の関係性に即した判断であって、他人様の弔事についてとやかくやを言うことはできない。)

 しいて言うならば「100歳の寿命で死んだ嫌いな女の三回忌に出る」というイベント自体が、この機を逃したら二度と発生しないだろうな……という点が私を悩ませている。行ったところで「嫌いな女の三回忌に行った」みたいなタイトルでブログを書くのがせいぜいだというのに。書かないかもしれないし。

 無理して参列しようと思わないが、全力で拒否するほどの労力もあまりかけたくない。困った。

 地元はまだしばらく、寒い日が続く。

 嫌いな女はもうすこし南の地方の生まれだったから、ローカルニュースで卒業式の話題を見るにつけ「私の生まれた町では卒業式の頃に桜が咲いていた」という話を決まってし始めた。「少し北上すると入学式の頃に咲いて、この町だともっと遅くに咲く」「だから引っ越してくる年には二度も三度も桜を見たものだ」とかなんとか。

 思い起こせば二年前の葬儀の日、例年よりも早めの桜がセレモニーホールの駐車場に舞っていた。なんというか、”願わくば桜の下にて春死”にやがったのである。そんなふうに死にたいと言っていた、他人の葬儀の時節に軽くケチをつけるような女だった、それでいて最終的には自分の要望を通していく。そういうところ本当に嫌いである。そういうところだぞと思って、本当に嫌いである。