ふたたびブログ

いろんなものを書きます

たとえ何者にもなれずに死ぬとしても

 二度なかずといいます。ふたたびなかず、と読みます。

 読むわりに、自分で打ち込みながら「にど」と打って変換しているので、自分でも時折自分の名前が分からなくなります。自分でつけた名前なのにね。

 小説、エッセイ、日記、なにかの感想など、書きたいものを書いていきたいと思っています。何かを書く人間として暮らしたい。こうして、文字を書きつけている間がもっとも心満たされていられるものですから。

 

 2020年4月からしばしnoteの更新にチャレンジしていましたが、このたび引っ越しをしてみました。何度も引っ越したわけではありませんが、サイトやWeb上の拠点の引っ越しって、なんだか往年の個人創作サイトみたいでふふっと笑いの込み上げる今夜です。なんとなく年齢と趣向の分かりそうな話でしょう。

 noteから引っ越した理由はnote(ないし運営)にありますが、しばらくさぼっていた理由は私にあります。私にあるのか、勤め先にあるのかは微妙ですが、とにもかくにもそこらへんにあります。そこに無いなら無いですね。

 転職でもしようかな、でも、辞める踏ん切りもつかないな、なんて友人にこぼしたところ、「やりたくないこと基準で考えてる印象だけど、やりたいこと基準で考えてみるのも楽しいと思うよ」という、当たり前といえば当たり前だけどまったく思い至っていなかった指摘を受けました。今夜の話です。いえーい友人見てるー? 見てないと思います。教えてもいませんから。

 ともかくそこで、近頃曇り切っていた目から鱗がぼろぼろと零れ落ち、まずはつべこべ言う前にやりたいことへ手を付けようと思った次第です。

 

 何やさんになりたいの? と訊かれました。

 

 これは中学生の頃に誰もが抱いて中学の間に捨てていく夢だって、分かっています。捨てずにいるにはあんまり読むことも書くことも足りておらず、中身の伴わない夢想だと理解しています。分かっている(つもりだ)から、余計に恥ずかしい。

 だけど今夜、コーヒーを間に置いて友人に「時間とかお金とか、色んなものが許すなら何がしたい?」と聞かれたときに。

 あるいは二年ほど前、心身を持ち崩して仕事を辞め、いっそ人生を放棄したいと考えていたときに。

 何になりたいかと言われたら、小説を書く人になりたい、と思いました。お話を作る人でありたいし、文章をつづる人でありたい。

 カフェの一角で「笑うかもしれないよ」と念を押し、両手で顔を覆い、おそるおそる発言した私を友人は笑いませんでした。私はずっと本当になりたいものを、長らく、ほとんど、人には打ち明けてこなかった。打ち明けられたら、よかったのかもしれないけれど、打ち明けられるような人間であったなら、そも、私は文章を必要としなかったろうとも思います。儘ならないものです。

 

 すっぱり諦めて、中学の間に夢を捨てて、現実に暮らした方がきっと利口で潔いのでしょう。それなら生き汚くて結構。100歳で死ぬその瞬間まで「小説家になりたかったばーさん」として暮らせたなら重畳です。

 ともかく前略かくかく中略しかじか後略、まずは拠点を引っ越しました。

 毎日とはいかないかもしれませんが、書くことを止めずに暮らしていきます。どうぞよろしくお願いします。