ふたたびブログ

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雨だった日の日記:なにもない日の地元

 盆と正月に帰省するのがせいぜいだと仮定すると、私が行き会う日の地元は常にどこか浮き足立っていることになる。大した催しもない時節に実家へ帰るのはずいぶんと久方ぶりだった。しとしとと雨の降りしきる住宅街は、何の変哲もないおかげで息がしやすい。母から借りた雨傘を片手に、私はバスを待った。ふるさとではバスを待つ人なんていうのはわずかだったから、いつの間にかバス停の2メートルほど位置がずれていることを、両親はきっと死ぬまで知らないままだろう。まるで用心ができなくて、距離が測れず、自分の身ひとつ以外のモノを物理的に取り扱うのが不得手な私にとって、自動車とは凶器そのものであったのだけれど、公共交通機関の便の悪い街ではよほどの年寄りでない限り、車を運転しないほうがかえって異端なくらいなのだった。よほどの年寄りに見える年寄りだって、いつまでも軽トラックを走らせている。

 飛び出してきた地元のアスファルトに立って、ぼやけた視界の中に知らない看板を見上げる。見覚えもないくせ、すでに色褪せているのだった。いつから立っていたのだろう。私が飛び出してからの年月を鑑みても、いささか古ぼけ過ぎている。どれくらい私は、この街で看板を見上げもせずに暮らしていたのだろうと思う。

 なんの催しもない頃の地元は、見渡すかぎりにただ地元だけがあった。町内会の小さな夏祭りとわずかに初詣の客が近所から来るほかは、しんとした神社が、雨だれの音だけを狭い境内にひしめき合わせて黙っている。なんの変哲もない。いつも、何も変わらない。

 何もない日の雨の地元を聴く。

 といって明日は弟の一生に一度の祝いの席だというし、今日の私はショッピングセンターの催事にわざわざ出かけていく。コーヒー豆が安いのだという。カフェオレに合うものを見繕いに行く。引き出したばかりの新札には、手を付けないよう気を付けておく。

 きっちり2メートル先へ停車した運転手は、窓の中で、何の変哲もない横顔をしている。

 

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雨だった秋の日の日記