雨らしき日の日記:むしょうに珈琲が飲みたい
これは非常に個人的なことで、地元には戻るまいと(ふらりと様子を見に行くのはいざ知らず、住処を移すことはあるまいと)思って出て来たつもりなのですが、なぜかふと、いつか戻るのだろうなと確信めいたものを覚えた今日でした。
あの街には愛したものがたくさんあって、ふらりと路地を通るだけで、いくらでもひとりで時間をひとりのために使える、そういう店や空気や、いとおしいものがありました。たとえば誰も私を愛していなかったとして、憎い人ばかりが暮らす街だったとしても、それでも私が私を愛しておけるためのすべてを、あの街は持ち得ていたような気がしました。
いえ、出てきたあとから思うことですね。美化です。
ほんとうは、なにもかもがいやになって出て来てしまったのです。
そのうえで、今度はいま自分のいる場所で、自分のことをすっかりいやになってしまったのでいっそ帰ればすっきりするんじゃないかと、『他人よがり』なことを言ってみただけなのです。明日には落ち着いて、また「戻るまい」と言い始めるでしょう。
ただ、なんとなくいつか戻るんじゃないかしら、と思いました。
私はあの街がすきでした。気まずい人と顔を合わすのを避けるのに、あまりに狭い街なのだとしても、私はあの街がすきでした。あの街に、手紙の名前の喫茶店があったのを覚えています。誰にも教えずに、ひとりで通っていたあの店がすきでした。
こんなふうにすべてがいやになったとき。
あたまのなかがごちゃごちゃとして、ぐるりぐるりとうずまいて、なにがしなくちゃいけないことで、なにがどうでもいいことなのか、判らなくなったとき。
あの店の、風の強い日には風の強い外が見え、雪の日には雪の降る外が見える窓辺の席へ、腰掛けて、時に珈琲をいただきながら、時に、すこしお酒の入ったミルクティーをいただきながら、手帳を開くのがすきでした。あるいは慌ただしい昼休みにしんとしずかな店先へ、逃げ込むようにドアを手前へと引いて、丸パンのサンドイッチとハーブティーとをいただきながら、少しずつ、自分の中の静まるようなこころ持ちを眺めているのがすきでした。
どうしてもなんだか、あのときと同じ香りにはならないのですけれど。熱い鉄瓶で湧かした湯で、ドリップパックをとぷとぷと、お湯でいっぱいにします。ほんとうは今夜、いささか冷えるから、珈琲はやめにしようと思っていたのだけれど。
どうしても飲みたかったのだから、仕方ないですよね。
ついぞ名乗ったこともないご店主へ、想像の中で話しかけてみる。冬にはお白湯を出してくださる店主だったから、夜半前には、止したほうがいいですよなんてハーブティーのほうを勧めてくださるのかもしれない。