ふたたびブログ

いろんなものを書きます

こどもはアイドルで天使でこども

 帰省をしている。

 正月以来の帰省だが、引き続き友人と飲み歩けもしない今回の主たる目的は、甥っ子に会うことである。甥っ子は春に生まれたばかりだ。私の弟夫婦に生まれた、私の両親にとっては初孫にあたる、しっかりとした体重の子である。私がご対面叶わなかった数か月のうちにすっかり大きくなり、今にもハイハイを始めそうな勢い。寝返りを打つたびに歓声が上がる。さながらアイドルの挙動、一挙手一投足である。

 こどもはかわいらしい。

 兎角すべてのこどもは、愛されて生まれ、庇護されて育ち、すこやかに親のもとを旅立ってほしいと、私は切に願っている。自分はこどもをもうけるつもりがなくとも、切実にそう思う。むしろだからこそ祈っているとも言える。あるいは、祈ることしかできないから祈っている。

 かわいらしいなあ、と微笑ましく眺めたり見守ったり(保護監督者の許可のもとで)なでたり抱き上げたり、するだけは親戚の他人事の範疇で出来ても。どうか大きく育ちますように、他人や社会に迷惑をかけませんように、やがては自身の幸いを自身でつかみとってゆける人になりますようにと、こどもの人生の道行きに一定の責任を負うことは、どんなにか大変で、どんなにか得難いことだろうか。私の想像力では、とても及ばないけれど、得難き子育ての道中を歩むすべての人たちにも、サポートしている機関の人たちにも、心から畏敬の念を抱いている。

 遠い世界のアイドルのように(この例えは語弊も危険もはらんでいて、そもそも、アイドルさんに対してだってファンの立場は無責任ではいられない部分があるとは思うのだけれど)(そしてそれが時に苦しみとして表出することがあると思うのだけれど)、ほめそやしてかわいがって愛でてなでてきゃっきゃするだけなら、無責任な私にもできるけれど。こどもはそもそも、こども、なのである。こども以上もこども以下もない。こどもとして、こどもが大事にされてほしい。そんなことを切に願っている。

 そんなことを願う盆の入りである。地元の夜は随分と涼しい。