ふたたびブログ

いろんなものを書きます

もしもピアノを習うなら

思いのほか手が小さくて

小指を攣ることだろう

 

 実家の母がピアノを習っている。おとなのピアノ教室というやつである。いや教室にはちびっ子から母より年上の方までいらっしゃるのだが、ようは、「この歳になって新たに何かを始めてみたいなと思って」というやつである。

 実家には私が子どもの頃に習……わされていた際の電子ピアノがあったのだが、二十年近くほったらかされてどうにもならなかった、鳴らなかったそうで、中古のアップライトピアノが今は同じ場所に収まっている。帰省するたび、辿々しい左手の練習が聴こえてくる。なんだか楽しそうである。

 もしも実家に戻るなら、同じ教室へ私も通ってみるのもいいかもしれない。母は還暦、娘は三十路を過ぎての習い直し。なかなか愉快な図ではなかろうか。来年には母も発表会へ出ようと思っているらしい、当初はそんなの恥ずかしい……という様子だったが「目標はあったほうがいい」と強く勧めた。教室の先生も張り切ってくださっているようだ。再来年か、その次あたりは、母と娘で連弾なんていうのもいいかもしれない。

 子どもの頃、父と弟のキャッチボールがうらやましかったのを思い出した。私もグローブを買ってもらって少しだけまざったが、同級生に見られたのがなんだか恥ずかしくて、私は結局まざるのをやめてしまった。別に下手くそだってなんだって、父とボールを投げ合うのが楽しいならやっていたらよかったなと思う。今は父にニンテンドースイッチの価格を聞かれているわけだが。

 母と何かを一緒にやってみるというのも、良いかもしれないなと、この歳になって思うのはなんだか不思議な気分だ。いまは仮に同じ教室へ同級生の子どもが通っていたとしても、平気でいられるだろう。大人になったのかもしれないし、なにかが鈍くなったのかもしれない。そんなことをいつまでも同じところで引っ掛かる母の左手を聴きながら、考えていた。