ふたたびブログ

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苺のケーキが少ない理由/100歳で死んだ嫌いな女について

 私の生涯でもっとも嫌いな女こと100歳の寿命で死んだ祖母は、クリスマスケーキの苺を「ハウス栽培でしょう」といって疎ましがった。今ではナンセンスである。当時からまったくナンセンスであった。
 かつては自分も畑をやっていた(どの程度の一般的な言い回しかはわからないが、私の地元のあたりでは規模の大小問わず畑で何かを育てることを「畑をやる」「畑をやっている」という)くせに、よくそんなことが言えたものだ。今の私ならそう思う。当時の私もそう思っている。かなり大規模に畑をやっている方々の、生産へのご尽力に対し、たいそう失礼な話だとしか思えぬ。なんというか女はとことん、自分の好みに合わないものに対して躊躇なく見下す女であったし、“慮らないこと”について、まるで迷いがない女だった。

 実家で購入するケーキがガトーショコラやチーズケーキ中心になったのは、そういえばそういうわけだったと、コンビニのモンブランを前にふと思い出す。
 誕生日用のホールのデコレーションケーキはほとんどが生クリームに大ぶりの苺のトッピングだったから、これだとおばあちゃんが食べないのよねとあまり買わなくなって、そのうちに、ピースごとのケーキを家族5人分、ばらばらに買ってきてすきな種類を選ぶのが定番になった。大抵、ガトーショコラとチーズケーキを合わせて5つといった具合で。それはそれで楽しいシステムになったので、以降大学生となり実家を出るまですっかり、ホールケーキの愉快さなど忘れていた。差し入れでホールまるごとのアップルパイを受け取ったときにはサークル室で途方にくれたものだったが。あれ、結局どうやってみんなで食べたのだっけ。

 晩年の彼女は歯の具合なのか、消化器官の具合なのか知れないが、柔らかいものを好むようになり、あんなことを言っていたショートケーキもむしゃりむしゃりと食べていた。おそらく90歳を過ぎた頃の話である。100歳の女の人生における75歳や80歳を果たして、晩年と呼ばなくてよいのかどうかは判りかねるが、そこからまださらに好みの変わる余地があるというのだから――老いや衰えと言い表すことをためらわない程度には嫌いなのだが、自分にその時期が到来することを恐れてもいるので「好み」と呼ぶ――、一概に人生を4分割とか5分割とかして「晩年」の一語で括るのは乱雑なのだろう。
 四半世紀と少しを生きた程度の私はショートケーキもガトーショコラもチーズケーキもモンブランもなんでも、美味しく好むけれど、あの頃の御用達だったケーキ屋さんはすでに実家の近くから無くなっている。『嫌いな女』の好みだけ、この先も一生変わらない。

だれもころしたくはないのに

 息をしているということは、常にだれかをころすことなのかもしれない。

 溜め息を漏らすのも億劫そうに、白樺の枝のような指がティースプーンをくるり。四角い砂糖が溶けた。

 私はおそらく思想がいささか、他人よりも過激なのだろう。私にそんなつもりはないがね。私より過激な者は幾らもいる。私より優れたる者ならば、掃いて捨てるほど居る。私如きを排除してみていったい何になる。

 そんなら見限ったらいいじゃないかきみだって、と出かかった喉に湯気の立つ紅茶をすすめられた。聞き飽いたよと零しさえしない。彼女はほとほと面倒になったのだろう。

 とはいえ過激か、過激ではないか、害があるのか無いのか、それは個々の置かれた立場や感覚や思想信条によるものだから、私の思想がなによりも過激に見えるという主張も、批判も、攻撃も、致し方なく甘んじて受けねばならぬのかもしれない。

「投獄も火刑もね」

 彼女はほほえんだ。遠い日の、足のうらを舐める焔の感触をくすぐったく思い出しているようだった。私はだんまりの言葉を呑み込んで、ハーブティーを食道へ流す。

食べたら出して読んだら書いて

 一時期はnoteを毎日毎朝どんなに短くとも更新するように努めていた。それはそれで、楽しかったが、冬の寒さと仕事のストレスが相まって結局やめてしまった。いや、寒さも仕事も言い訳でサボり癖が出ただけといえば、それまでだし、それだけなのだと思う。毎日更新することはそれ自体がもちろん、文章を書くことを習慣化する意味で効果的ではあったのだけれど、一方で私の中の私をどこかで疲弊させていたのも事実である。他方、とにかく文章を書くことを何かにつなげたいけれどどうしたらいいか分からない、という状態であった私の焦燥感を受け止めてくれたのもまた毎日のnote更新であった。

 そんなわけで毎日更新をやめたり、noteに対して思うところあって場所を移したり、なんやかんやで今に至るわけだが、今に至ったら今に至ったで、結局更新をサボりがちなのは困ったものだなと思うわけである。

 いや、毎日更新を己に課しているわけではないから、サボりと呼ばないつもりになれば呼ばないでおくこともできそうではあるのだが。それはそれで自分を甘やかしていやしないかしらというわけだ。

 

 前回の記事でちらりと書いたが、少し前から広告業の端のほうに籍をもらっている。広いくくりでライター職と呼べるのかもしれない。勤務先的にはライター呼びになっているから名乗ったっていいはずである、ここに照れと躊躇が生じるあたり、私の弱いところである。ええいままよ! 私は新米広告ライターです! ふう。

 名乗りはどうでもいいのである。ともかく、新米広告ライターなので仕事中も書くことを考えている。逆か。新米広告ライターなので仕事中は当然に書くこと(そしてそれに付随する取材や資料集めやメールのやり取りやさまざまなこと)を考えているのだが、趣味も読むこと書くことそれに付随することなものだから、帰宅してからも何かしらの書くことを考えている。考えたいと思っている。

 ところがどっこい、仕事で執筆欲が一定程度満たされていることで、帰宅してからの執筆活動をこのところサボりがちである。

 慣れない職場環境に疲労が出ているのは確かだろう。もう少し慣れてくれば、仕事に割くべきリソースとか、プライベートとのバランスとか、いろいろと丁度よく取れてくるのかもしれないが。おかげさまでいったい、いつぶりだろう、(名義こそ違うけれど)出したかった同人誌の原稿がイベントに間に合わなかった。恥じ入るべき失態である。個人の活動の範疇なので誰に迷惑をかけたわけでは、あまり、ないかもしれないが、それでも一度「出します」と言ったものが出ないのは自分で自分を許しがたい。いくら情勢を鑑みて即売会に直接参加はできなかったとしても、である。

 文章を書くのをやめたいわけではない。これは絶対にやめたくない。やめられないので、一度、二度はまったく別の仕事に就いていたのに、いま(新米広告ライター)に至っている。

 しかしやはりそれだけではなくって、私はお話を作る人になりたい、物語と呼ばれる類のものを生み出すようでありたいと思っている。願っている。そういう自分の姿を希求している、といえばいいのかもしれない。だけど神絵師や神作家の腕や脳みそやなにがしかをもぐもぐバリバリむしゃむしゃと咀嚼して一晩で能力と名声を手にしたいのではなくって、かように自由に(見える)彼の人の中の世界を私へ向けて、彼の人の輪郭よりも外へ向かって発していける、あるいは彼の人の内側に深くどこまでも宇宙を広げていける、それができるだけの努力と胆力とを私もまた身に付けたいという話なのだ。目が覚めたときに藤本タツキと入れ替わっていたって私は喜ばないだろう。私はルックバックを、チェンソーマンを、生み出せるような人間になりたかったのであって(なりたいのであって)、できるならそれを自分が生み出したかったのであって。

 

 つまるところ、私のなりたい私になるためには、私が、「私のなりたい私」に「なる」しかないのである。どこかの政治家構文みたいに聞こえるかもしれないが気にしないでいただきたい。

 だから私はやはりサボるべきではないのだし、文章を書くこと、お話を作ること、そういう自分であることを希求し続けるべきだし、希求し続けることだけが私をそのような自分に至らしめることができるのだと思う。そう信じたい。誰かに求められて書くわけじゃなくて、自分が書きたくて書き始めた以上は、自分が何者でありたいかをサボらずに考え続けなくてはならない。結果どこにもいけず大したことが為せないとしても、そんなことは、死ぬ瞬間までわかったものじゃない。

 

 そういうわけで、この連休はインプットに精を出してきた分、少しまたアウトプットの機会を意識的に設けていってみようかなと思う。まずは週明けの仕事からだが、広告も一定の範囲での物語を作ることだなと思っているので、楽しんで働いている。

 書くことをサボりたくないものである。

 

今週のお題「サボりたいこと」