ふたたびブログ

いろんなものを書きます

曇りの日の日記:お洒落をして映画館へゆく

 トップスはお気に入りの黒いニット、二年ほど前に予算オーバーの一目惚れ。シルエットが美しいのに、一度自宅で洗ったら若干縮んだので二度と同じ轍は踏むまいという教訓とともにある。春になったらクリーニングへ。

 ボトムスには母のお下がり、の丈を切ってもらったダークレッドの元ロングスカート。いまは膝下。おそらく元はかなり上等なものだったと思われる。つるりとして光沢のある生地が上品な印象。

 足下に去年の初売りで奮発したブーツ。シンプルな黒、革、ロング。ヒールが高くなく、防水もしっかりしており、よほどの日でなければ愛すべき地元の雪道も歩ける優れもの。しかし何故ファッション性と防寒とを両立させると値段が跳ね上がるのか、あらゆるすべての靴の裏は滑りにくいのがデフォルトであって欲しい。買った靴屋が生活圏内から撤退してしまったけれど、靴は向こう十年履くつもり。ありがとう靴屋。お財布に許されるならもう一足なにか買いたかった。

 そして薄手なのにあたたかい上等なコート。これも母のお下がり。それなりの値段のものを、当時の母の唯一の趣味と言ったらたまの買い物だったから、三回払いか六回払いで買ったのだと思う。いまの職場に着て行くには勿体無いのだと、先だっての帰省の折に譲られた。軽い。あたたかい。本当によっぽどモノがいい。

 それからいつもと違う電車。在宅勤務となった今では電車に乗って出掛けること自体が、たとえ数駅分の距離でも非日常になってしまったが、通勤していた頃とも違う路線、逆方向へ向かうとなればこれはもう冒険。田舎の在来線からの景色なんてあまり変わらない気もするけれど。地元よりも幾分か高層マンションが多いかしら。

 そんなこんなで平日の昼に訪れる遠めの映画館。リバイバル上映に感謝してチケットを購入。昨夜の予約の時点では他に席も埋まっていなかったようだけれど、はてさて。ポップコーンを買うのは未だに慣れない。いつ食べたらいいのかが分からないから。

結局わたしのような半端者は死にたがり続けるのにも飽きてしまうのだった。

 年末からしばらくタイトルを「もしもピアノが弾けたなら」のもじりシリーズで続けていたのだがこれも飽きてきたので打ち切りである。

 おそらくまた性懲りもなく死にたい気持ちになる日はあり、食事を取らなくなり風呂に入らなくなり顔を洗わなくなり布団を出なくなって溶けて消えてしまいたくなるだろうなとは思う。
 が、今日のところはそれにも飽きたらしく、お気に入りのコーヒー豆を買ってきて、ドリップし、新しく買ったカップを使って飲んでいる。いい休日である。だからといって私の「あ~死にたい~」が構われたがりの病んでるアピだと思われるのは心外だが、まあ別にそう思ってもらっても私は構わない。2週間前の自分と今日の自分が別人というだけである。一貫性が無い。

 昨日の私と今日の私はいつも別の生き物だなと感じる。
 昨日確かに抱いた感情が今日はどこにも見当たらないということがある。自分の中のどこにも見当たらない。己が体を、かたちを気に入っている左手の小指の爪から、エアコンの風で時折ぱやぱやとするアホ毛の先、不定期に荒ぶる腹、さいきん霜焼けになってしまった足のつま先まで隈なく探して、忽然と消えてしまったと思うことがある。
 厳密には、存在を忘れてしまったものは探そうという気持ちを抱くことすら叶わないので、「そういえばあったな」と思って初めて探すことになる。「そういえばそんなのあった」の契機が、自分の書き記した何かである。

 どうして(口頭で話すことと比べて)文章で書き記すほうへ傾倒したのかといったら、自分の思ったことを覚えていられないということが、背景の一つにはあるのだろう。夜中に書いたものを翌朝に読んでそれこそ死にたくなる日もある。それでも、自分がどれほど死にたくて、どうして死にたくて、あるいはどれほど満たされて、いかに浮足立っていて、はたまたいきり立って、目も当てられないほど青臭くて仕方がなくて、といったことを思い出して「ああ、このときの私のことを私は嫌いではなかったな」と思うとき、今の私がようやくどうにかしてあの日の私の背中をさすってやすことができると思うのだ。
 さて、こんな記事も明日には読み返せなくなっているかもしれない。

***

 まったく話は変わるが、去年から楽しく短歌をよむのに使わせていただいているアプリ「うたよみん」がサービス終了するらしい。ソシャゲはあまりやらず、愛読している漫画は10年以上続いているので、サ終なるものに不慣れである。慣れていたところでさびしさは変わらなかろう。さびしいものだ。

 

www.utayom.in

 この2~3カ月はうたよみんに生かされていたと思うし、世界から消えてしまいたい日にしかよめなかったものがあると思う。ありがとううたよみん。もう少しだけ縋りついていたい。

もしも今年を越せるなら

思いのすべてを筆に乗せ

紙に印刷するだろう

 

 12月に31回更新すると言ったな!あれは!嘘になった!さすがに今から10回以上更新はできないので来年から本気出す。今年の終わりに言い訳を置いておくことにしよう、仕事と仕事じゃない仕事とプライベートがすべて爆発してほぼ毎日で続けていた短歌も止まってしまった。身から出た錆なのだが今年の錆は今年のうちに落とせるだけ落とせたと思っておきたい。身も心も大掃除である。部屋の大掃除は来年に持ち越している。希死念慮と戦う2か月間であった。

 残りの今年の目標は12月の星々を5本投稿すること。実家でおせち料理を用意する隙にどこまでできるのかは微妙なラインだが、せめてこれはクリアしたい。おかげさまで11月の星々は佳作をいただいたので引き続き精進しようと思う。

 今年はこのブログも動かしたし、この名義でTwitterを開設し、140字小説、短歌などやってみたいことを少しずつ試せた年だった。残念ながら、二次創作で続けていた「ジャンル問わず同人誌を年に1冊以上出す」という記録はストップしてしまったが、コロナ禍にも関わらず去年、一昨年とよく出していたものだ。来年5冊くらい出すことでチャラにしたい。これは毎年そう言っている。

 来年の「二度なかず」の目標としては、とにかく紙の本を出す。140字のまとめになるか、短歌のまとめになるか、いずれ「二度なかず1年目の記録」として作ってみようかなと思っている。別途二次創作も続けるだろう。

 それから、少し身辺を整理して、積読を崩したり、映画を見たりといったインプットの時間を取りたい。今年はさまざまなハプニングもあり、今後自分がどこに身を置いて生きていくのか迷うところも多かった、いまも迷っているので、見聞を広げられればなと思う。

 

 今年私を知ってくださった皆さま、ツイッターでお話ししてくださった皆さま、短歌にいいねをくださったみなさま、いま初めましての皆さまも。大変お世話になりました。来年も皆さまにとって良き年になりますよう。