ふたたびブログ

いろんなものを書きます

もしも叱られないのなら

思う存分すきなもの

食べ散らかして残すだろう

 

 あれもこれも食べたがっては結局飽きるか、お腹がいっぱいになって叱られる子どもだったので、そのうち「途中で飽きるんじゃないの?って言われるんじゃないか」「飽きたら叱られるんじゃないか」「残したら怒られるだろうな」と思って、叱られそうな行動は回避する子どもになった。学校の校則だって守らなくちゃいけないと思っていたわけではなくて、守っていなくて叱られるのが嫌だったから守る子どもだった。スカート丈もそれなりの長さだった。私の頃は短いのが流行りだった。

 褒められたいのと叱られたくないのとはちがうよな、と思ったのだ。私は叱られたくない人間として、ここまで来たような気がする。これはなにか必要な気づきという気がするのでまたあとでしたためたい。今日は眠っておく。

もしも逃げてもいいのなら

重いものすべてを投げ捨て

四国あたりへ飛ぶだろう

 香川へ行ってみたい。国内でどこかへ旅行に行くのなら、香川でうどんを食べるか、金沢の兼六園を訪れるか、だと思っている。鎌倉もいいな。沖縄も行ってみたい。実際のところ、あまり遠くへ出たことがない。都内へお芝居を見に行くのは話が別である。
 聞いたところによると香川にお住いの方は「東京にはうどんがない」とおっしゃるらしい。インターネット伝聞情報なのでジョークの類とは思っているのだが、しかしそうまで言われるうどん、香川のうどん、食べてみたいと思う。
 麺類はすきだ。米もすきなのだが。子どもの頃はずいぶん偏食だったので、パスタやそばは正直あまりすきではなくて、うどんとラーメンを好んでいた。なんて、言えば母親に叱られるだろうなあと思っていたから当時はあまり言わなかったが。大学生になって自分のバイト代で食べたサイゼリアのペペロンチーノは美味しかった。私は、私が好まなかったものは実家でよく買っていたレトルトのミートソースの味だったのだと知った。買い置きパスタとレトルトソースに命を救われるような大学四年生になる頃にはそんな偏食もしなくなっていた。もっとも今は、冷凍のパスタのほうが美味しいなと思うのだが。
 冷凍と言えば冷凍うどんがすきである。冷凍うどんは命の恩人である。この世に冷凍うどんが無かったなら、確実にぶっ倒れて病院に運び込まれていたことだろう。それくらい私は面倒くさがりで、気力が失せると、まず食事を放棄する。冷凍うどんをレンジでチンして醤油をかけて食べれば生きていけると教えてくれた人、そんなのがいたかどうかも定かでないが、ありがとう。もう少し元気と冷蔵庫の中身があるときは、卵を割り入れたり、チーズをかけたりしてもいい。冷凍うどんがあれば人は生きていける。やりすぎると飽きるのだけれど。

 そうじゃない。香川の話である。香川の話であると言ったってうどんが有名なこと以外、香川のことを何も知らない。しかし「香川」という字面がなんといっても素敵だよなあと思う。おしゃれではないか。面積があまり広くないところもちょっとかわいらしい。かく言う私はごつごつした字面でものすごく面積の広いところの生まれである。
 私の生まれたところからも、いま住んでいるところからも、香川は遠い。おそらく四国がもっともアクセスしづらい土地である。沖縄や九州ならいっそ直行しやすいのだが、四国へ行くのにはどうしても何かを乗り換えなければいけない気がする。大変である。しかし行ってみたい。行きづらい場所だからこそ、えいやっと思って行かなければ一生行かないままだろう。

 そんなことを常々思っていたからだろうか。なにかあって目の前のことから逃げ出して誰も私のことを知らない土地へ飛びたい衝動に駆られた時、この二年ほどは「四国あたりに飛びたい」と思うようになった。その前は無機物になりたいと言っていた。無機物には、まあまあ今も時々なりたいのだがさすがに、ううん、もしや旅費のことを考えたら実は転生するほうが簡単なのだろうか? やめやめ、そんなことを言い出すとまたGoogle先生Twitterにいのちのでんわダイヤルをおすすめされる。ありがとう。私は今日も元気です。冷凍のうどんを切らしているので明日の食事があやういけれど元気です。

 借金や犯罪以外の理由で「とにかく現実から逃げたい」人のための移住プラン、流行らないだろうか。流行らないかー。そんなの来られても経済活動がちっとも活発にならないだろうなー。困った困った。困りながらなんにもならないブログを書いている。じつは1日更新が飛んでいるので、毎日更新もとい12月に31回更新しようチャレンジはまたしても1回分遅れている。どこかで取り戻さないと。2回遅れだけは回避したい。

もしもピアノを習うなら

思いのほか手が小さくて

小指を攣ることだろう

 

 実家の母がピアノを習っている。おとなのピアノ教室というやつである。いや教室にはちびっ子から母より年上の方までいらっしゃるのだが、ようは、「この歳になって新たに何かを始めてみたいなと思って」というやつである。

 実家には私が子どもの頃に習……わされていた際の電子ピアノがあったのだが、二十年近くほったらかされてどうにもならなかった、鳴らなかったそうで、中古のアップライトピアノが今は同じ場所に収まっている。帰省するたび、辿々しい左手の練習が聴こえてくる。なんだか楽しそうである。

 もしも実家に戻るなら、同じ教室へ私も通ってみるのもいいかもしれない。母は還暦、娘は三十路を過ぎての習い直し。なかなか愉快な図ではなかろうか。来年には母も発表会へ出ようと思っているらしい、当初はそんなの恥ずかしい……という様子だったが「目標はあったほうがいい」と強く勧めた。教室の先生も張り切ってくださっているようだ。再来年か、その次あたりは、母と娘で連弾なんていうのもいいかもしれない。

 子どもの頃、父と弟のキャッチボールがうらやましかったのを思い出した。私もグローブを買ってもらって少しだけまざったが、同級生に見られたのがなんだか恥ずかしくて、私は結局まざるのをやめてしまった。別に下手くそだってなんだって、父とボールを投げ合うのが楽しいならやっていたらよかったなと思う。今は父にニンテンドースイッチの価格を聞かれているわけだが。

 母と何かを一緒にやってみるというのも、良いかもしれないなと、この歳になって思うのはなんだか不思議な気分だ。いまは仮に同じ教室へ同級生の子どもが通っていたとしても、平気でいられるだろう。大人になったのかもしれないし、なにかが鈍くなったのかもしれない。そんなことをいつまでも同じところで引っ掛かる母の左手を聴きながら、考えていた。