2マイル目の世界にいる話をしようと思い、そういう「マイル」ではないとは判っているけれどそもそもマイルって何メートルなんだと検索してみたら、国と陸と海とで違うようだ。
ちなみに「マイルとは」でGoogle検索したところ最初に出てきたのは飛行機に乗ると貯まるほうのアレだった。そうではない。そうだけど。
映画『ラストマイル』を観た。
アンナチュラル、MUI404の2作品を知人に勧められて、そこからの流れで公開初日に映画館へ行くこととなった。すっかり夢中になっているので知人は喜んでくれている。「あなたのスイッチを押してしまったのね」と笑っている。そのとおりだ、時には人にスイッチを押してもらって初めて広がる世界がある、ありがとう。
『ラストマイル』もまた1つのスイッチとして私の深いところをぐいと押してくれてしまったな、という感じがしている。
約2時間の中での見事な伏線の回収、1つとして無駄な描写のない、すべてに意味がある美しくて目まぐるしくて情報の波に翻弄されるつくりに舌を巻きすぎて喉が詰まりそうになった。実際おそらく詰まった。2時間後に気の抜けたジンジャーエールを明るくなった劇場内で勢いよく啜った。
前述のドラマ2作品に対してもそうだけれど(私がいまさら書き記すまでもないことだけれども)、根底に「いま、私たちが立脚している社会と地続きのテーマ」が強度を以て存在している。と同時に、ドラマチックな展開とどこかデフォルメされたキャラクターたちの魅力あふれるエンタメでもあり、リアルとの線をどこへ引くかの加減が絶妙。今あることから目を背けないし、背けさせなくて、だけど自然と引き込まれて、観終えた時には愕然とした。どうしてこんなものが生み出せるんだろうと心臓近くがヒリヒリとする。
いままで意識していなかったものを意識するようになる、その最初の一手がなんらかの創作物である、みたいなことって、ある。と思う。その意味でラストマイルは急激に私の世界に食い込んで、わりと重要な臓器に近そうなあたりの肉を千切っていった。
私はメイク落とし用のコットンを、通販サイトの定期便で購入している。けれど次の配送を待たずしてストックを切らしてしまった。こんなとき、だけど、ぽちりと押していいものか一瞬迷うようになる。そういう世界のズレって些細なようでいて、だけどだけど、そんなに簡単にこういう世界ってズラせないものだったりする。進学とか就職とかプロポーズとか不動産購入とか、そういうあからさまに大きな分岐点以上に、日常に溶け込んでいる些細な1000回とか2000回とかの選択こそ、容易に「意を決する」ことさえできないものであったりする。選んでいることも、選ばされていることも、認識しがたいから。それをズラせるイベントといったら、ずしんと腹の底に響くような、それこそ映画館の一番大きなスクリーンをぐわんぐわんと揺らすようなショックじゃないと、世界って変わらないのかもしれないという気さえする。
それでいてこの映画がくれたものは今までの世界とのズレだけでもなくて、私もこんなものが生み出せたらいいのにと、そんな気持ちが湧き出でて心のうちに蓄えられる感じがする。2マイル目を終えて帰ってきて、個人的にも大きな変化や選択がたまたま存在するタイミングで、ぐらぐらになった私の中に今日この、むわっとした夏の名残りの空気を落ちてきた日が知らんぷりするような季節、豊かに残っているものといったら「あんなふうに何かができたらいい」「一生なにかをやりたがっていたい」という気持ちだった。じりじりとする。焦燥に駆られないことのほうに、不安を覚える。私はなにかをやりたがっていないなら、いったいなんのために生きて生まれて育ったのだろうと思ったりもする。なんて、そもそも生まれたことに意味なんかなくて構わないのも本当だと思うのだけれど。
そんなこんなで仕事をするし、何かを書いたり読んだりする。
取り留めのない話になってしまった。ここに取り留めのあることを書こうと思っていないから、それはそれでいいのだが、では私の取り留めがなくて不安ばかりの人生はどこへ封をして届けたらいいのだろう。爆発しないとは言いがたいいので、他人にゆだねるにはしのびない。